アニメや映画を参考に、お年寄りが生まれた時代を解説しております。
今回はアニメ映画『この世界の片隅に』を参考資料に、1940年から45年
戦時中の庶民の暮らしについてみていきましょう!
時代背景
まず、時代背景からさらっと説明します。
なんとなく、このころ日本が戦争していたのはみなさんご存じだと思います。
この頃、日本は中国の、南満州という地域に鉄道会社を持っていました。
鉱物資源とか、開拓民を送り込もうとか、さらに進出して、実効支配しようとします。
それを警戒したアメリカやソ連との摩擦が生じて、国際的に孤立していきます。
最終的には「外国に築いてきた権益を手放すか、戦争するか」と言う二択を迫られます。
と、ここら辺が、日本が戦争に向かっていった原因の一つということになります。
その中で、庶民の暮らしにはどんな変化が起きたのでしょうか。
戦前の意外な流行
その様子を知るための教科書は、『この世界の片隅に』です。
この作品は、時代考証をとっても!綿密に作られています。
せっかくなので、物語の進行に沿って、気になるところをピックアップしてみます。
この映画の舞台は、広島と、隣の呉です。
広島は陸軍、呉は海軍の施設が多く存在していたので、割と都会的な雰囲気があります。
冒頭の、すずさんが子供の頃のシーンでは、広島の中島本町という繁華街が映ります。
このシーン、面白いものが二つほど映っていまして。
「ヨーヨーで遊ぶ子供」と「サンタクロース」です!
1933年に、ヨーヨーブームが起きて、専門書が刊行されるほどだったそうです。
一年でブームが沈静化するところに、日本人らしさが表れているんじゃないでしょうか笑
サンタさんも実際いまして。
アメリカと戦争になる以前は、クリスマスセール、クリスマス商戦があるくらいには浸透していました。
「昭和 サンタ」と画像検索すると、面白い写真が見られます笑
1937には中国と、41年にはアメリカと戦争になりますが、まだまだのんびりした雰囲気が流れています。
生活への影響の表れ
すずさんが呉にお嫁にいったのが1944年2月ですが。この辺りからは戦争の影響が見てとれるようになります。
この途中におばあちゃんの家で、お箸の握り方で嫁入り先を占うシーンがありますが。
「満州」という言葉が出てきます。
冒頭でも話しましたが、日本はたくさん開拓民を送り込んでいて。村ごと満州へ行った、なんて話もあります。
本土から離れた土地にお嫁に行った方もたくさんいたでしょうね。
呉に着いて、坂道を登り切ったシーンで、仲人さんが「木炭バス」という言葉を使っています。
その手前のシーンから、自動車の背面から煙がモクモク出ている車が確認できます。
ガソリンは戦争に回すという目的で、民間では木炭や薪で走る自動車が運用されました。
エンジンをかけるのに1時間もかかったりとか、出力が弱くて坂道は後ろから押してもらわないと進めないとか、
不便は多かったようです。
服装にも変化がありますね。
着物を「もんぺ」にリメイクするシーンがあります。
もんぺ自体は、主に作業着として昔からあったものなんですが、
1942年からは、国が「服装改善委員会」なるものまで開いてゴリ押しされました。
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戦時下で、華美でなく、作業に適していて、逃げる時にも動きやすい
といった理由からです。
男性の場合、呉の街は軍関係の仕事をしている人が多いのでわかりづらいのですが。
国民服という、詰襟の服が奨励されました。
食生活への影響
食生活はどうなっていたでしょう。
劇中、すずさんが色々工夫して献立を考えていますね。
戦局が長引くのを予想して、1940年から、配給制というものが始まります。
世帯ごとに支給された切符と生活必需品を交換するというもので。
自由に物を買うことができなくなります。
ストーリーが進むごとに、配給される品物も減っていく様子が描かれています。
特に、食料を確保するのは文字通り生命線ですよね。
食卓を少しでも賑やかにするために、二つの方法が登場しますね。
一つは、闇市。
国が物価を統制している状況で、非合法な手段なので、隠れて物品の売買を行うことですね。
戦時中はあくまで、隠れて個人間で取引をする、みたいなイメージだったんですが。
戦後は半ば公然と、大規模に行われるようになります。
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東京の秋葉原。電気街として有名ですが、
発展したきっかけは闇市だったりします。
食料確保の二つ目の方法として、野草や雑穀を利用していますね。
主食のお米の配給が減ったり延期になったりしますから、節米料理というのも登場します。
劇中では、「楠公飯」というのが出てきますね。
玄米を炒って、水で膨らましたあと更に炊く、という調理法です。
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実際につくってみましたが、ふつうに美味しかったです。
(毎日はきついかも…)
こういった情報はどこから仕入れていたのでしょうか。
戦時中も、わずかながら雑誌が刊行されていました。
「主婦之友」とか「婦人倶楽部」という雑誌がメジャーで。
戦時下で生活するティップスが紹介されたりしています。
その中で「野草を使って料理をしてみよう」みたいな記事が多く確認できるので、
そういった情報を、女性たちの間でシェアしていたんじゃないかと思います。
あとは、昆虫食を奨励する冊子を国が発行したりもしています。
その中だと、食用になる虫としてイナゴ、ざざ虫、蚕のさなぎ、ゲンゴロウ
なんかが紹介されています。
庶民の娯楽は守られたか?
娯楽に関しての描写も印象的です。
入院したお父さんを見舞うシーンで、「敵性音楽」というワードが出てきます。
この場合はジャズ音楽の事ですが、音楽以外にも、欧米由来のものは、厳しく制限されてしまいます。
有名なところで言うと、野球用語でしょうか。
例えば、「ストライク」は「よし」、「アウト」は「だめ」みたいな感じで、英語を排除しようとしたんですね。
こうなると、娯楽も何もないんじゃないかと思ってしまいますが。
44年9月のシーンで、夫婦で「映画はまたの機会にしようか」って話す場面があります。
映画の内容は規制が入るので、恋愛ものは禁止になったり。
戦地の記録映画などに限られてきますが、庶民の娯楽として大事にされていたんですね。
空襲の後に、映画館に人が殺到した、なんて話も残っています。
子供の遊びはどうでしょうか。
調べたり、話を聞いた範囲で言うと、「物が無いなかで工夫して遊んだ」と言う声が多かったです。
手作りのバットやグローブを使っての野球だったり、
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映画の中では、
晴美さんという女の子が、モンペの端切れをあやとりにして遊んでいました。
映画の中では、晴美さんという女の子が、モンペの端切れであやとりをして遊んでいました。
遊び道具やおもちゃが全く無いと言うわけではなかったのですが、
千代紙の柄が、兵隊さんや防空頭巾を被った女性だったりとか。
軍隊生活を題材にした双六だとか。
戦時色の現れたものがありますので、子供の遊びににも影響があったと言うことですね。
おわりに
戦争が庶民の生活に与える影響は多岐に至りますが…
中でも食生活は、文字通り生命線。
工夫に工夫を重ねて命を繋いでいた様子が描かれています。
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改めて、平和について考えさせられました。
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