出身地トークは仲良しの入り口
介護の仕事をしていると、利用者さんに「〇〇さんはどこの生まれですか?」と話題を振る機会が沢山あります。
介護関係なく、初対面の人との話題としてはポピュラーだよね。
その人の事を知ったり覚えたりする手掛かりになるからね。
大抵の場合、そこから「▲▲が有名なとこですよね、〇〇さん召し上がったことあります?」
などのお喋りに続く訳ですが。
今回は、そんな出身地トークから歴史を紐解いてみましょう。
東京生まれは江戸っ子…ですよね?
ある日、同僚の介護職が利用者Nさん(当時80代のおばあちゃん)とお喋りしていました。
「Nさんは東京生まれでしたっけ?」
「そうだよ」
「じゃあ江戸っ子なんですね!」
「違うよ」
「…えっ!?」
「わたし江戸っ子じゃないよ」
「東京生まれ」=「江戸っ子」と理解している日本人は同僚以外にも沢山いるでしょう。
(ほとんどかもしれないですね)
その話題がスタッフミーティングで共有された時も、みんな「!?」状態。
ケアマネは「いやいや東京の新宿!淀橋生まれで合ってるから!」と焦り出す始末。
『認知症で記憶が錯綜しているから?』
という意見も出ましたが、実はNさんの主張は筋の通ったものだったのです。
誤解を払拭するために歴史オタクの僕が解説した内容を、今回は丁寧に(しつこく)お届けしてみようと思います。
とっても厳しい?江戸っ子の条件
江戸っ子にはどの様な定義があるのでしょうか。
江戸っ子の特徴(精神的要因)
一般的に、江戸っ子には次のような特徴があると言われています。
①江戸っ子気質(かたぎ)である
②粋+鯔背(いなせ)である
①の江戸っ子気質は、
「見栄っ張り」「気が短い」「喧嘩っ早い」「思い切りが良い」
といったイメージでしょうか。
「宵越しの金は持たない」に代表される精神性ですね。
でも、字面だけだとダメ人間にもなるんじゃ…
そこで重要になってくるのが②の粋+鯔背です。
「粋」に関しては、「垢抜けている」「さっぱりしている」「色気がある」といった感じで、割と一般化していますね。
「鯔背」はなかなか聞きなれないですが、「勇ましく、さっぱりしている」みたいな意味合い。
鯔とは魚類のボラの子供のこと。
ボラの背のように黒々とした髷(まげ)を結った若者のことを指したのが由来とされています。
まとめると、
江戸っ子の特徴=威勢の良い垢抜けた人
という感じでしょうか。
例え喧嘩っぱやくても、野暮ったい人は江戸っ子ではないようですね。
関西でいう「シュッとした」と通じるところがあるかも?
江戸っ子の条件(環境的要因)
江戸っ子気質の人なら、ぶっちゃけ日本中にいそうです。
これでは差別化が図れません。
という事で、江戸っ子には厳格な条件があります。
諸説あるのですが、「だいたいこんな感じ」というものを挙げてみましょう。
①山王権現・神田明神の氏子
②三代続いて江戸に居住している
③江戸で生まれ、産湯に浸かる
①に関して。
江戸には、将軍を巻き込んで隔年で行う二つのお祭り(天下祭り)がありました。
それが、山王権現(日枝神社)の山王祭と神田明神(神田神社)の神田祭。
江戸っ子は「女房を質に入れてでも」参加するほどお祭りが大好き。
(今だったら冗談でも炎上しそうですね)
であれば、二つの神社いずれかの氏子地域に居住しているケースも多かったでしょうから、①はそこまでシビアな条件ではないかも?
②と③に関して。
「おじいちゃんが住みはじめた(生まれた)地域に住んでる」人は現代でも多いでしょう。
「産湯に浸かる」も現代チックに「地域の産婦人科で出生」と捉えれば、そこまで無理ゲーではないですね。
…あれ?
やっぱり東京生まれの人=江戸っ子で合ってない?
実は、「東京=江戸」とは言い切れないんですねぇ
という訳で、次項では「江戸」について歴史を紐解きながら解説しましょう。
どうする家康。
寅さんは江戸っ子ではない…かもしれない
江戸、のちの東京を大都会にした主は、今年の大河ドラマの主人公徳川家康です。
江戸時代のピークには人口100万人をこえて世界一の大都市になった江戸ですが、何も最初から発展していた訳ではなく…
むしろ家康の家臣が「ほ、ほんとにココに住むの…?」と思うくらいのど田舎でした。
こちらは当時の江戸の様子を伝える文章ですが、
「至る所が湿地帯で、街を作れる場所がない」というのは、なかなか衝撃的ですね。
そこでこうなりました。
「日比谷が海だった」ってのは、なかなか衝撃。
この大造成によって、江戸の城下町が誕生。
この最初期の街並みは、現在でいう神田、日本橋、上野、浅草、深川あたりの事で、古町(こちょう)と呼ばれています。
ということは、すごーくシビアに考えると
「江戸」=古町(神田、日本橋、上野、浅草、深川)
「古町に三代続いて生まれて産湯に浸かった人」=「江戸っ子」
となりますし、
「東京の、古町以外の生まれ」だと、三代続いていようが「江戸っ子ではない」となってしまいます。
もちろん古町に新宿は含まれていないですし、
なんなら更に条件を厳しくする事もできます。
自称江戸っ子の人が、「川向こう」という言葉を使う事があります。
(※「川向こう」という言葉自体には様々な使われ方がありますし、差別的なニュアンスを含むことも多いです。多用するのはおすすめしません。)
江戸っ子にまつわる用法で言うと「隅田川の向こう」、ひいては「川向こうは江戸ではない」という意味合いで使われます。
この条件も加えると江戸城から見て深川は「川向こう」ですから、なんと江戸から除外されてしまいます。
葛飾柴又に至っては更に荒川も挟んだ向こうですから、
厳しい条件で言うと「寅さんは江戸っ子ではない」となってしまいます。
なんでそんなに厳しいのさ?
江戸〜明治大正〜戦後〜と、どんどん人口が増えていく中で、古参と新参の差別化を図る意図が働いたんじゃないかな?
なんせ見栄っ張りみたいだし…。
これ以上寅さんファンを敵に回したくないので、そろそろNさんの意図に迫ってみましょう。
Nさんの真意は?
Nさんが「江戸っ子じゃない」と話した理由を、特徴と条件に当てはめて考察してみましょう。
①江戸っ子の特徴(江戸っ子気質+粋で鯔背)
あくまで介護職の目線での判断になってしまいますが、
こちらは「あまり当てはまらない」と思います。
Nさんは、どちらかというとマイペースな性格。
「人からどう見られるか」、「垢抜けて映っているか」といった事には関心は薄そうな、素朴な人柄でした。
ご本人の分析を伺えないのが残念ですが、いわゆる江戸っ子気質では無いように思います。
②江戸っ子の条件(「江戸」に3代続いて産まれる)
「江戸」の条件をどこまで厳しくするか、というオーダーはあるものの、
江戸っ子を語る上では「新宿は江戸に当てはまらない」と言ってしまって良いと思います。
行政区画うんぬんではなく、「俺は江戸の原住民だ!」とアピールするための呼称ですからね。
新宿が現在のような都会になるきっかけは、1923年の関東大震災。
被害が甚大だった東京の東側(下町)から、西側(新宿や渋谷)に人口が流入したことで住宅街、繁華街が形成されていきました。
それ以前の新宿は
と言った感じの田園風景が広がっていたので、
Nさんの中でも「新宿は東京の田舎」という認識があった可能性は高いです。
トー横キッズなんておらんかったんや。
まとめますと、「自分は江戸っ子ではない」というNさんの真意は
・いわゆる江戸っ子気質では無いという意思表示
・オーセンティックな「江戸っ子」(古町など古くからの街の生まれを指す)を尊重
ふたつの可能性が考えられます。
ぶっちゃけ2つ目だと思いますけど。
子供時代のご近所さんに、それはそれは江戸っ子の条件にうるさい「江戸っ子原理主義」みたいな人がいたのかも。
終わりに〜お年寄りは歴史である〜
結局のところ、Nさんの江戸っ子観は彼女の胸の内にしかなく確かめようがないのですが、
彼女が生を受けてから新宿の街が世界でも有数の大都会に成長したことは確かです。
江戸=東京はよそ者たちが大勢集まってできた街です。
震災や戦災、その後の復興や経済成長に伴う大開発によって散り散りになってはまた集まって「東京っ子」は生きています。
そう考えると、東京原住民…本当の江戸っ子なんてもういないんじゃ…なんて考えてしまいます。
同僚たちの「???」に端を欲した今回の事件(?)は、お年寄りの生きてきた時代を理解する良い教材になってくれたと思います。
みなさんの周りのお年寄りの会話の中にも、意外な歴史が隠れているかもしれません。
「歴史オタクが介護で大活躍する時代が来るかも…」なんて思ったりしつつ、今回は締めたいと思います。
では。
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