介護職=やさしい、という幻想
2022年6月ごろ、「底辺職ランキング」なるものが炎上し話題になりました。
学生向けの就活情報サイトが「【底辺職とは?】底辺の仕事ランキング一覧|特徴,デメリット,回避方法も」というタイトルで様々な業種を紹介し、ネット上で猛烈な批判に晒されました。
(現在、当該記事は削除されているようです。)
介護職も「底辺職扱いされる」「誰でもでき、給料が安く、きつい仕事」などの理由で無事(?)ランクインを果たしており、
「でも必要な職業だよ!」という世間のフォローも相まってか、ネガティブ面が浮き彫りになったようにも感じる出来事でした。
僕自身、友人から「介護って精神的にキツそう!やさしくてメンタル強くないと続かなそう!」とか言われることがあるのですが…
当然ながら、介護職全員がやさしいわけではないです笑
むしろ、性格のやさしい職員ほど疲弊して辞めてしまったりもします。
一方で、「特にやさしいわけではない(失礼)けど、利用者さんにとって良い介護職」という職員も存在します。
今回は「共感」というキーワードをもとに、やさしさと介護の関係についてみていきたいと思います。
どの介護職が一番やさしい?
まず具体的な事例をみてみましょう。

介護施設のなかで、利用者Aさんが「ここはどこ?家に帰りたいのに…」と不安な様子です。
それに対し、3人の職員が「どう共感し、どう対応したのか」をみてみましょう。

職員Bさん
Bさんは、利用者Aさんの不安な様子を「じぶんごと」のように感じ、「なんとかしないといけない!」と共感しました。
その上で、「まずは話を聞いてあげないと」という考えに基づき、「どうされましたか?」と声をかける対応をしました。
職員Cさん
Cさんは、利用者Aさんの気持ちを「じぶんごと」のようには感じていません。
あるいは、「よくある事だな」と思うくらいで、特に共感はしていません。
その場で解決すべき問題とも思っていないので、特に対応もしませんでした。
職員Dさん
Dさんは、利用者Aさんの気持ちを「じぶんごと」のようには感じていません。
ですが、「家に帰りたい」という不安が、認知症の見当識障害(時間や場所の認識があやふやになる)によるものだという知識を持っていました。
その上で、「まずは話を聞いてあげないと」という考えに基づき、「どうされましたか?」と声をかける対応をしました。
まとめると、
Bさん… 「じぶんごと」に感じる 対応する
Cさん… 「じぶんごと」に感じず 対応せず
Dさん… 「じぶんごと」に感じず 対応する
このような感じになりました。
言わずもがな、
この場面では「どうされましたか?」など利用者さんの話を聴こうと対応するのが理想ですね。
一見するとBさんが「良い介護職」という感じがしますが、Dさんも表面上は同じ対応をしています。
利用者Aさんからしたら、同じくらい安心するのではないかと思います。
逆に、CさんとDさんは同じ共感の仕方をしているようで、対応はまるで違うものになりました。
どうやら、共感には種類がありそうですね。

次項では、3つの「共感」を学んでいきましょう!
3つの「共感」


3つの「共感」に、先ほどの事例を当てはめてみると…
Bさん…利用者Aさんの不安な気持ちを「じぶんごと」に感じる=情動的共感
Dさん…利用者Aさんの不安な心理を認知症の知識から推測する=認知的共感
という、異なる共感の仕方から適切な対応を行なっていたことがわかります。
さらに、この2つの違いを確認してみましょう。


情動的共感
情動的共感は生得的、つまり生まれつき差がある共感の仕方です。
同じ風景を見ても、人それぞれ着眼点や感想が異なるように、「感じ方」には個人差があります。
相手の気持ちを、まるで「じぶんごと」のように感じるかどうかも生まれついての違いがあるので、努力で高めるのが難しいのです。
また、思いやりや気遣いで消耗し、バーンアウト(燃え尽き)してしまいやすいというデメリットも存在します。



冒頭で述べた、「やさしい人ほど辞めちゃったり…」みたいなヤツですね。



介護に限らず、対人サービスの宿命かもね。
認知的共感
一方の認知的共感は、後天的に身につけたり向上させることができる共感の仕方です。
認知的共感の最大の特徴は、「相手の視点を獲得する」ことです。
相手の様子を観察したり、話を聞いたり、持っている知識や情報を用いることで
「相手は今こんな状況、気持ちなのではないか」と推測することができます。
知識や経験、そして推測は積み重ねることができますから、鍛えることも可能、というわけですね。
あくまで仮に相手の視点を持つだけなので、気疲れもしにくいメリットがあります。



まあ燃え尽きちゃうのは問題だけどさ。
さっきの例でも同じ対応ができてたんだから、どっちの共感でもいいんじゃない?



それが、そうでもないのよ…。
次項では、「情動的共感”だけ”だと危険!」という話から、本題の「良い介護職とは?」について考えてみたいと思います。
「気持ちに寄り添う」のホントの意味
「情動的共感”だけ”だと危険!」その理由はズバリ「100%の共感はありえない」からです。
ガッカリしましたか?
この章を最後まで読めば、そこまで落ち込むような事じゃないとわかるのですが、
まずは人間の共感の「いい加減さ」がわかる実験をしてみましょう。


こちらの能面のイラスト、左は上をむいて、右は下を向いていますが、どう感じますでしょうか?
なんとなく「左は悲しんでいて、右は喜んでいるかな?」みたいな感じではないかと思うのですが。


パーツごとにも、なんとなく感情を見出しているんですねぇ…。



念の為言っておきますが、「同じ能面」です。
能面は「無表情」の代名詞として語られがちですが、
その中から人間は、「悲しそう」とか「嬉しそう」と勝手に共感しているわけです。
故に、共感した内容の正確性は、確かめようがありません。


「自分の共感した内容は間違っているかもしれない」
その上で相手の心の内を知るためには、
「相手の視点を獲得」する認知的共感が必要になってきます。
状況や様子、知識などからの推測→実際にケア→反応を観察→修正
このようなサイクルを繰り返すことで、最適なケアに近づけることが可能になるわけです。



「自分は常に間違う可能性がある」という前提があるからこそ、
最適解に近づくことができるんだね。



情動的共感は、自分が相手を感じたまんまなので、
「相手の気持ち」という前提を間違ってしまう危険もあります。


ケアの出発点は、
「この人は困っている(かもしれない)から、なんとかしなくては!」
と思い立つ事だと思います。
情動的共感の得意な人は、ただそこにいるだけで沢山きっかけ(出発点)を掴めると思います。
(その分疲れやすいんだと思いますけど)
一方、情動的共感の苦手な人でも、冒頭の職員Dさんのように
経験や知識を積んで推測を繰り返す=認知的共感を高める事で、同様にきっかけを掴むことができます。
情動的共感の得意な人も、認知的共感を後天的に身につければ、
「共感は常に間違う可能性がある」「燃え尽きやすい」
というデメリットを補う事ができるわけです。



どんな人にでも認知的共感はオススメ!
って言いたいわけね。



というわけで、今回のまとめを。
認知的共感を身につける事で、
・ケアの出発点=「なんとかしなきゃ!」に気付きやすくなる
・推測と修正を繰り返す事で、最適なケアに近づける事ができる
・やさしい人にありがちな、「燃え尽き=バーンアウト」の予防につながる
→やさしくなくても、良い介護はできる!
少しでも参考になりましたら幸いです!
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
YouTube動画でも解説していますので、そちらもゼヒ!よろしうです。
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